2013年9月21日土曜日

「巨神ゴーグ」 安彦良和 監督 テレビ東京 1984年

 今回は、懐かしのアニメと言ってよい作品、「巨神ゴーグ」を取り上げます。
 この作品は、「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザインなどで名高い安彦良和がデザインやストーリーなどを全面的に手掛けたことで、一部のファンに根強い人気のある作品と言えるでしょう。だたし、本作は、これが極めて厄介な代物であることを言わねばならないと思います。というのは、オープニングフィルムの映像やその歌詞を始めとして、随所に見られる、表面的な健康そうで爽やかな絵面と、健全な冒険ものであるかのようなストーリーの印象とは裏腹に、非常に淫靡で陰惨な性的志向が背後に隠されていると見えるからです。
 問題なのは、ヒロインのドリス・ウェイブのコスチュームです。彼女は、物語の開始時、ニューヨークで兄のウェイブ博士を手伝っていた時には、短パンのコスチュームを着て自由闊達に振る舞っていました。その姿で空中をワイヤーアクションするようなシーンもあり、その場面は、いかにも「この下半身がきちんと閉じた格好ならば下に地面が無くても大丈夫」というメッセージを放っています。
 しかし、巨大ロボット・ゴーグと共に行く冒険の旅の舞台であるオウストラル島に渡る際に、彼ら兄妹や主人公・田神由宇ら一行は、彼らの島での冒険の案内人・「船長」の手によって用意された「制服」のようなコスチュームに着替えることになり、その結果、ドリスは一行で一人だけミニスカート姿にされてしまいます。
 しかも、彼女の「制服」は、スカート部分と、あとは頭部のサンバイザー以外は、ほぼ由宇とお揃いなのです。由宇はドリスと微妙に色の違うコスチュームで、スカートの代わりに短パンになってる点だけが異なります。また、兄のウェイブ博士も、幾分デザインが異なるものの、ほぼ共通の「制服」を纏いますし、「船長」自身も、基本的に同じデザインの服を、極端に着崩して着こなしています。そして、彼等の共通のデザインの「制服」の中で、ドリスだけがスカートなのです。
 この「スカート以外は基本的に共通」という設定が、ドリスが「スカートである」という部分こそが特に注目すべきポイントであることを指し示す上で、大きな役割を果たしています。また、一行が島で合流したメンバーの少女・サラがホットパンツ姿であることも、このドリスの「苦境」を、更に浮き彫りにする役目を増幅していると言っていいでしょう。
 ですから、そういう目で見ると、実は、冒険の舞台であるオウストラル島とは、ドリスを性的に開発するための装置だったのではないかという疑念が湧いてきます。実際、ドリスは、この、大切なところが開いてしまっているミニスカートのコスチュームで、様々な、性的な意味で「危うい」シチュエーションに置かれます。
 
 例えば、島に渡る途中、船が傾いてパンチラしながら通路を落下したり、島に渡ってからは、このスカート姿で遥かに高いゴーグの頭の上に搭乗したり、また、一行が乗って旅をする戦車・キャリアビーグルの上面ハッチから上半身を乗り出している状態が描写されたりします。(当然車内でラダーに乗っている筈の下半身は…。)しかも、このシーンでは、その状態で、落石からゴーグに守られるなど、極めで象徴的な場面が展開します。
 他にも、敵の一勢力の首領であるレイディに川べりで拷問されてその際に下着が裾から覗いたり、由宇と二人で捕まった際に両手首両足首を縛られて転がされた時に(縛られてはいない)膝を閉じていたりします。
 また、大掛かりな「大道具」的な仕掛けを伴ったシーンとしては、秘密基地内部で、敵・ガイルの襲撃に対して反撃した異星人側の攻撃で、襲撃したガイルの戦闘員が死体となって大量に流れる渓流のごとき流水に、ドリスはスカート姿で足首だけ浸かって立ち尽くしたりします。陰惨な場面の只中、踝まで覆ったブーツが水に浸かって、その上に無防備なスカートが開き、下方に向かってまるで一輪の花のように純白の輪が開いている様は、あまりにも性的なカリカチュアです。
 こうした大仰な場面設定で最も端的なシーンは、異星人基地の最深部で、広大な無重力の空洞に、由宇とドリスがはまってしまったシーンでしょう。この際、二人は、縦に長いこの重力のない広い空洞を、手を繋いで降下してゆくのですが、由宇がドリスの手を取るのを止めた途端に、ドリスは無重力空間で前方に一貫転してしまい、露わになった下着を隠そうと、丸くなってスカートの前を押さえてしまうのです。
 「スカート姿のドリスは、一人ではスカートを押さえる以外には何もできない」という影の主張が、あまりにも露骨に顕在化しているシーンと言ってよいでしょう。このシーンでは、この空間の最下部に着地したドリスは、由宇を前に、「私だって、私だって…!」などと泣き叫ぶ描写すらあるのです。

 しかも、同じ安彦氏がキャラクターデザインをした映画クラッシャージョウのヒロイン・アルフィンの場合は、コスチュームは他のメンバーと同じタイツであるにも関わらず、本人自身が根本的に極端な無能力者でしたが、対してドリスは、ニューヨークでパンツ姿での活躍などの描写も見る限りでは、本来は活発で快活な娘であり、その儚く弱々しい無能さの源泉は、もっぱら、そのあまりに性的な弱味を晒しているスカートのコスチュームに在ると言えそうです。
 そういう意味では、このアニメ「巨神ゴーグ」に於いては、ドリスを巡る扱いに関して余りに手が込んだ場面設定がなされ過ぎている、という感を抱かざるを得ません。ううん、このアニメ、実は設定全部が、ただの変質者の妄想なんじゃ…。

 今回はこんなところです。

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